【たぶん日本一詳しい】
交通事故の債務不存在訴訟における訴えの利益の解説
こちらの記事は専門的な内容となっており,弁護士などの法曹向けの記事になります。
交通事故の事件を処理していて,保険会社がいきなり訴訟を提起してきたことによって困ったことがある弁護士は多いと思います。
依頼者への説明も苦労するし,そもそもこの訴訟は本当に適法なのか,疑問を持った方も多いと思います。
しかし,反訴をすると本訴の確認の利益が失われることもあり,裁判例の積み重ねもほとんどありません。
また,裁判官も訴えの利益に関する知識・理解が足りないことがほとんどで,「委任状があって,客観的に審理できる状態であれば訴えの利益はある」くらいにしか考えていません。
私は弁護士として,保険会社が主導して被害者に対して債務不存在訴訟を提起することは,人的・金銭的なリソースの差を利用した威圧的行為であり,社会全体にとってマイナスとなる行為であると考えています。
法的には,訴えの利益が無い,または訴権の濫用にあたると考えられます。
しかし,当該訴訟についての訴えの利益に関する問題は,
被害者として素直に感じる問題意識を個別訴訟に反映させることが難しく,
整理・理解が非常に難しいものとなっています。
業務の合間とはいえ,1年以上の時間を費やして調査していますが,まだ不十分な部分が多くあるため,ご意見・アドバイス等あれば幸いです。
また,答弁書の素案の提供,共同受任も含め,保険会社からの債務不存在訴訟に対して争う弁護士を全面的に応援します。
面識のない弁護士でも結構ですので,お困りの弁護士は弊所までお気軽にお電話してください。
※ 以下,原告,被告ではなく,加害者,被害者という表現で統一します。
忙しい中で作成しているので,多少の表記の揺れがあるかもしれませんが,ご容赦ください。
表記の順番として,必ずしも準備書面を意識したものではありません。
そもそも論
被害者が直感的に感じる不満・問題点はなにか。なぜ法律論に反映させるのが難しいのか
× 訴訟を提起しているのは実質的に保険会社ではないか?
→ 裁判所は,委任状があれば,それだけで原告は加害者個人になると考えている。
〇 事前交渉がなく,いきなり訴訟を提起してきている。
→ この点は権利の濫用として争い得る(後述)
△ 多くの場合は治療中
→ (前提として治療期間が妥当であれば)治療中に訴訟を提起されることは被害者にとって不意打ちとなり,訴えの利益が無い典型的な場合にあたる。
しかし,裁判官は治療終了まで待っていることで対応しようとするため,結局,訴えが却下となることはない。
× 加えて弁護士費用は保険会社が負担している
→ この点も(直接は)関係がない(後述)
△ 加害者本人の主観として何も困っていない(まともな訴えの利益に関する主張がない)。
→ この点は弁護士であっても最初整理しきれないところだと思うが,
訴えの利益は 職権調査事項なので,原告が主観的に困っているかは問題とならない。
また,被害者が損害賠償請求をほぼ無制限でできることとのバランスから,客観的にみた訴えの利益もほぼ問題にならない。
→ ただし,その他の事情も相まって不当な動機で訴訟を提起したことを推認させる事情となる。
△ 客観的に見ても訴訟を提起するメリットが限りなく小さい。
→ 上述の通り客観的な訴えの利益もほぼ問題にならない。
→ この点も不当な動機で訴訟を提起したことを推認させる事情にはなる。
× 更にいうと,被害者が反訴を提起した時点で訴えの利益を争うことはできなくなる。
⇒ 上述のとおり,裁判官も訴えの利益に関する知識・理解が足りないことがほとんど。
「委任状があって,客観的に審理できる状態であれば訴えの利益はある」,「訴えの利益は口頭弁論終結時の事情で判断される=訴訟を延期していれば瑕疵が回復される」くらいにしか考えていない。
背景の話:ほとんどの訴訟が保険会社主導で提起されている
1 理由
① 交通事故事件の性質上,加害者が訴訟提起をするメリットはほぼない
② にもかかわらず,一般民事事件に比べて,約6倍の債務不存在訴訟が提起されている
2 ① 交通事故の性質上,加害者が訴訟提起をするメリットはほぼない
⑴ 交渉の窓口は保険会社であり,加害者が交渉過程はほぼ把握していない
⑵ 賠償金は保険から支払われ,加害者にとって賠償額の多寡は関係無い
⑶ 加害者本人は訴訟よりも「むしろ,示談解決による精神的な安寧を早期に求める」(論文「直接請求権のない賠償責任保険の示談代行と弁護士法72条」18頁(損害保険研究第79巻第2号)京都産業大学 法学部 教授 吉澤卓哉)
→時間的にも精神的にもメリットはない。
3 ② 交通事故では一般民事の約6倍の債務不存在訴訟が提起されていること
⑴ 1990年代
「大阪地裁で民事交通事件における債務不存在確認請求訴訟の割合が激増して3割を超えた」(講演録「2.債務不存在確認請求訴訟をめぐる諸問題について」(赤い本 2020年 下巻 37頁)東京地裁民事27部 裁判官 中直也)など,異常な数の訴訟があった。
⑵ 現在
債務不存在訴訟の割合は2014年に終了した事件のうち1.7%である(論文「民事訴訟記録調査の概要」(社會科學研究 71巻2号)現 東京大学社会科学研究所教授 飯田高)。
一方,交通事故のうち,債務不存在訴訟の割合は「平成26年(2014年)以降,8%を超えて10%近くまで増加し2020年も5月末現在約10%と高い割合になっております」(既出 赤い本 2020年 下巻 37頁)とある。
→民事事件全体だと1.7%。交通事故だと10%
4 結論
約6倍の債務不存在訴訟が提起されている。
→ 保険会社が主導して訴訟を提起している以外の解釈はできない。
5 おまけ
裁判官だって保険会社が訴訟を提起していると思っている
判例タイムズなどの評釈をみると,訴訟を提起しているのは「保険会社」という記述がほとんど。
赤い本の裁判官の講演録でも「保険会社による機械的な提訴」(既出 赤い本 2020年 下巻 38頁),「保険会社が,会計処理面等の理由から,物損事故等について,訴訟による処理を選択している」(講演録「最近における東京地裁民事交通訴訟の実情」(赤い本 1997年 下巻 178頁)東京地裁民事27部 統括裁判官 飯村敏明)という表現が使われている。
重要なポイント
1 訴訟において実質的には保険会社が訴訟を提起しているという議論は難しい。
反論として,「加害者の委任状があるから訴訟を提起しているのは原告」で話が終わってしまうからだ。
主張の本筋は,「仮に加害者自身の意思によって訴訟を提起していたとしても,訴訟を提起しようとした意思形成に保険会社の影響が多大にある
=
被害者から見ると保険会社の言うことを聞かない場合に訴訟を提起されるおそれがあるように見え,威圧効果がある」
と主張した方が良い。
2 加害者の訴訟提起が保険会社の影響を受けていること=提訴に不当な動機が推認されることと,いきなり訴訟を提起したこと,は別の話。
加害者が何の交渉もなく突然訴訟を提起してくることが多いため,混同しがちであるが,それぞれ別の事情であることはきちんと意識したい。
裁判例の紹介
裁判例と学説は大きく対立していないこともあり,基本的には裁判例に従って議論を組み立てていく。
リーディングケースは2つある。
1 東京高判平成4・7・29 判時1433号56頁/判タ809号215頁
「交通事故による損害賠償債務の不存在確認の訴えが、その必要性につき問題があって確認の利益がないとされる場合があり得ることは否定できない。例えば被害者の症状が未だ固定していない場合には、損害が更に拡大する余地があるから、被害者の側でもその間は訴訟の提起を差し控える理由ないし利益があり、一方、加害者の側から債務不存在確認の訴えを提起しても、これにより紛争が一挙に解決するとはいえず、このような観点から、その必要性ないし利益が問題とされることはあり得ると考えられる。また、被害者からは何らの請求さえされていない場合、あるいは当事者間で誠意ある解決を目指して協議、折衝が続けられていて、その続行、解決を妨げる何らの事由もない場合等に、加害者の側から一方的に債務不存在確認の訴えを提起したときは、このような訴えに応訴せざるを得ない(多くの場合はその準備がない)被害者の不利益にかんがみ、先制攻撃的に訴えを濫用するものとして確認の必要性ないし利益を否定する立場もあり得るところである」
①被害者の症状が未だ固定していない場合などは紛争が一挙に解決するとはいえないときは訴えの利益が無くなり得る。
②被害者からは何らの請求さえされていない場合等、加害者の側から一方的に債務不存在確認の訴えを提起したときは訴えの濫用となり,訴えの利益が無くなり得る。
2 東京地裁平成9・7・24中間判決(なおこの判決は裁判官3名による合議体によるものである)判タ958号241頁
「加害者側が、一方的に訴えを提起して、紛争の終局的解決を図るものであることから、被害者側は、応訴の負担などの点で過大な不利益が生じる場合も考えられる。このような観点に照らすならば、交通事故の加害者側から提起する債務不存在確認訴訟は、責任の有無及び損害額の多寡につき、当事者間に争いがある場合には、特段の事情のない限り、許されるものというべきであるが、他方、事故による被害が流動的ないし未確定の状態にあり、当事者のいずれにとっても、損害の全容が把握できない時期に、訴えが提起されたような場合、訴訟外の交渉において、加害者側に著しく不誠実な態度が認められ、そのような交渉態度によって訴訟外の解決が図られなかった場合、或いは、専ら被害者を困惑させる動機により訴えが提起された場合などで、訴えの提起が権利の濫用にわたると解されるときには、加害者側から提起された債務不存在確認訴訟は、確認の利益がないものとして不適法となるというべきである」
①事故による被害が流動的ないし未確定で,損害の全容が把握できないとき,
②訴外の交渉で著しく不誠実な態度があり,訴訟外の解決が図られなかった場合,
③もっぱら被害者を困惑させる動機により訴えが提起された場合
などの事情を考慮し,訴えの提起が権利の濫用に亘ると解されるときに確認の利益が無くなる。
3 まとめると
原則:訴えの利益あり
例外Ⓐ:(裁判所目線で)症状固定になっていないなど,損害が確定していない場合
※ 被告目線で症状固定になっていなければ良いわけではない点に注意
例外Ⓑ:交渉の経緯や・訴訟を提起した動機などから濫用的な訴訟と評価される場合
そして,
「現在の裁判所の実務の考え方は,ほぼこれらの裁判例によって示されているところと同じであると思われます。」(既出 赤い本 2020年 下巻 40頁)とあるように,裁判所の考え方の大枠は固まっているといえる。
4 注意点:被害者の不利益とは,訴訟に応じること自体である
裁判官も勘違いしてることが多いので,できたら積極的に主張したい。
上記の両裁判例における「被害者の不利益」とは,応訴の負担そのものである。
治療中であって,訴訟資料をそろえることができないなどの,訴訟上の不利益が生じることではない。
なぜこのような勘違いが生じるか。
東京高判平成4・7・29が「このような訴えに応訴せざるを得ない(多くの場合はその準備がない)被害者の不利益にかんがみ、先制攻撃的に訴えを濫用するものとして確認の必要性ないし利益を否定する立場もあり得る」との表現を用いているため生じる誤解だと思われる。
たしかに,一般的に,債務不存在訴訟において先制攻撃という言葉を使うときは,訴訟資料がそろわず,被害者に防御上の不利益が生じる場合などの意味が含まれる。
しかし,「このような訴えに応訴せざるを得ない(多くの場合はその準備がない)」と書いてあることから,文章を素直に読むと応訴の負担自体が問題となっていることはわかる。
また,「多くの場合」という表現からも,準備が無いことは必要条件ではないことがわかる。
東京地裁平成9・7・24日も「被害者側は、応訴の負担などの点で過大な不利益が生じる場合も考えられる」とする。
また,労働事件ではあるが,後述の東京高裁令和4年10月20日判決(判タ1519号202頁)も,「被害者側は、応訴の負担などの点で過大な不利益が生じる場合も考えられる」としている。
5 主張できる具体的事情は交渉経緯・提訴の動機に限られるのか?
※ わざわざ答弁書に書かないでも良いと思うが,整理のために一応触れておく。
上記2つの裁判例は交渉の経緯や提訴の動機についてしか述べていない。
その後のあてはめを見ても,やはり交渉の経緯くらいしか検討されていない。
また,交渉の経緯以外の事情も,動機が不当であることに結びつけることはできるから,議論の実益は薄いところかもしれない。
しかしながら,動機の不当性に結びつけることが難しいものもあるため,あえて限定する必要はないと思う。
① 権利の濫用との文言をつかっていること
権利の濫用と言う一般的な用語の使われ方は広く様々な事情を考慮することが通常である。
② 裁判例の考える被害者の不利益は応訴の負担であり,客観的な負担そのものを問題にしている。
③ 学説でも,訴えの利益は原告のみならず,被告の不利益,また,裁判所のリソースの問題なども含めて総合的に判断すると主張されていることと整合的である。
「訴えの利益は,原告があると判断するものが,原告以外の者の判断においても本当にあるとされるかという形で出現する。その際,原告以外の者として,裁判所ないし国家を想定し,その立場から見て或る訴えは取り上げるに値しない(そのような訴えを取り上げていては,裁判所の負担が増え,もっと切実性のある訴えに割かれるべき司法エネルギーが浪費され,国民一般の利益を損なう,と言い直すことができる)と把握することもできる。が,そうではなく,被告を想定し,その立場から紛争解決の必要性・実行性のない訴えに対応させられることを回避できて良い,と把握することもできる。」「当該訴訟物につき判決することが、原告が真に保護を求めている地位の安定に役立つかが別途検討されなければならないことがあり、確認の利益の判断のため裁判所が、訴訟物から相対的に離れて、紛争の実態・経緯を見なければならないことも起こり得るのである」(書籍「重点講義 民事訴訟法 上 第2版」368頁 高橋宏志)
④ 仮に訴えの利益の中で判断できなくても,訴権の濫用の枠組みの中で同様の議論をすることができる。
訴権の濫用については必ずしも議論が整理されているわけではない。
しかし,民事訴訟法判例百選 第4版では東京地判平成12・5・30(判時1719号40頁)が紹介されている。
当該裁判例は「訴権濫用に当たるか否かは,提訴者の〔訴え提起の〕意図・目的,提訴に至るまでの経過,提訴者の主張する権利又は法律関係の事実的根拠・法律的根拠の有無ないしその蓋然性,それらの法的性質・事実的背景,提訴者の訴訟追行態度,訴訟提起・追行による相手方当事者の応訴の負担,相手方当事者及び訴訟関係者が訴訟上又は訴訟外において被ることがある不利益・負担等その評価にかかわる事実(評価根拠事実)を総合的に考慮して判断すべきである。」と判示している。
つまり,あらゆる事情が考慮要素となるとしている。
(なお,百選には,「控訴審の東京高判平成13・1・31(判タ1080号220頁)もこれを支持した」とある。)
6 債務不存在訴訟の威圧的効果について
訴えの利益を否定した近年の裁判例として東京高裁令和4年10月20日判決(判タ1519号202頁)がある。
当該裁判例は労働事件についての裁判例であるため,すべてが直ちに本件に適用できるわけではないが,参考になる点はある。
⑴ 被告の不利益を応訴の負担としている点について
「かかる段階で債務不存在確認の訴えを提起することは、相談等をした従業員側の意思に必ずしもそぐわないばかりでなく、事業主の法令上の責務を果たさないまま応訴の負担を従業員に負わせることにもなりかねないところである。」とあり,従来の裁判例の立場を確認している。
⑵ 債務不存在訴訟の威圧的効果について
「損害賠償請求がされる抽象的危険があれば債務不存在確認訴訟を提起できるとするならば、従業員としては損害賠償請求をしないと約束でもしない限り上記の負担にさらされることにもなるが、これは問題解決へ向けた従業員の選択肢を奪う結果となるのではないかとの疑問もあるし、その態様のいかんによっては従業員からの相談等を封殺するおそれがあることも否定できず、既に挙げた法令等の趣旨との抵触が問題となり得るというべきである。」としている。
つまり,債務不存在訴訟によって被告に応訴の負担が生じる結果,威圧的効果を生じ得る。
→ 交通事故でも,被害者たる被告の視点からすると,少なくとも原告が保険会社の多大な影響を受け,訴訟を提起してきたと考えるように映る。
となると,被害者としては治療の終了時期その他の交渉において,保険会社の言うことを聞かなければ加害者から提訴をされるおそれがあると考えることが通常であり,威圧的な効果が生じることは避けがたい。
→ 保険会社からみても同様である。
保険会社からすると,なぜ原告の弁護士費用を支払うのだろうか。
威圧的効果を狙ったものとしかいえない。
→ 加害者側弁護士がいきなり訴訟するのもそうである。
一般的に訴訟は長期化するものであり,時間的には依頼者の利益にならない。
また,訴訟は依頼者にとって精神的な負担になり得る。
加えて,弁護士の負担としても訴訟の方が手間もかかるのであり,できたら交渉で終わりたいと思うはず。
普通に考えて,いきなり訴訟を提起することは不自然。
合理的に考えると,保険会社から直接または間接的な影響を受けた結果,いきなり訴訟を提起したとしか思えない。
具体的な主張の仕方
1 例外Ⓐ:(裁判所目線で)症状固定になっていないなど,損害が確定していない場合
結論,この点で戦うのは極めて難しい。
以下の2つの問題がある
① 症状固定日(治療期間)はいつかという問題
※ この点は適切に反論し得るが…
被害者が治療中であれば,ただちに裁判例のいう「当事者のいずれにとっても、損害の全容が把握できない時期」にあたるわけではない。
あくまで裁判所からみて,適切な症状固定日である必要がある。
=症状固定日の検討が必要となる。
この点は東京高等裁判所(平成28年11月2日判決)も同様の立場を採る。
治療継続中であることを理由に訴えの利益なしとして却下した一審(横浜地方裁判所小田原支部(平成28年5月25日判決))を「原審において、控訴人に本件事故によって被控訴人に脳脊髄液減少症が発症した可能性がないことを主張・立証する機会を全く与えることなく、控訴人が申し立てた送付嘱託を却下して、審理を終結し、本件訴えを却下したことは、確認の利益の存否についての審理を尽くさないものといわざるを得ない。」
として原審差し戻した。
当該裁判例は,確認の利益の審理を尽くす中で症状固定に関する議論をすることを求めている。
・ 考えられる反論
(特にむち打ちのような,症状固定日が曖昧な怪我では)交通事故における医学的資料は有機的一体となって意味を持つので,被害者が治療を終了するまで症状固定日を検討することはできない。
極端に治療が長期化している場合を除いて,治療の性質や被害者の愁訴が途中で質的に変わることは無く,被害者の主張する症状固定日(または後遺障害の結果)まで含めた全期間の医療記録が無ければ,症状固定日がいつか判断することはできない。
実際,裁判官としても,先に一部の医療記録だけを読むことはしないだろう。
なお,上記の高裁判例は「脳脊髄液減少症が発症したか否か」であって,独立して判断できるため,むち打ちの場合とは議論が異なる。
② 裁判官がひたすら期日を延期するという問題
裁判所は被害者の治療終了または自賠責制度における後遺障害の認定結果が出るまで,ひたすら期日を延期するという訴訟指揮を執ることが多い。
・ 考えられる反論
被害者としては,期日を延期するということは裁判所自ら訴えの利益が無いことを認めるに等しいとして,直ちに訴えを却下することを求めるべきである。
しかし,原告が訴えの利益についての反論をしている間に治療終了したり,自賠責の後遺障害の結果が出る可能性が高い。
特に,過失など,症状固定とは別に整理すべき事項があるときは絶望的である。
現実問題として却下はされないだろう。
2 例外Ⓑ:権利の濫用についての主張
メインの論点となる
※ なお,裁判官が勘違いしている可能性が高いので,訴えの利益は現時点(口頭弁論終結時)で判断されるが,訴権の濫用に関する主張は時間の経過とともに瑕疵が回復されるものではないことは触れておきたい。
1 交渉経緯についての,加害者からの具体的な主張
大別すると以下の3つになる。
① 加害者が全く交渉をしようとしなかった(その意思もなかった)
② 加害者は交渉をする意思はあったが,被害者が治療中なのでできなかった。
③ 加害者は積極的に交渉をしたが,被害者が治療中なのでこれを拒んだ
① は特に言及すべきことはない。
主張内容も明確であろる。
あえていうのであれば,全く交渉することなく提訴をすることは,交渉経緯の問題だけでなく,提訴が不当な動機に基づくものであることを推認させる事情であることも主張したい。
② 被害者が(不適切な期間)治療していたので,交渉しようと思ってもできなかった
→ 裁判官はこのような主張をされると,加害者の症状固定日についての議論を始めてしまうことがある。
・ 考えられる反論
被害者が治療中であっても交渉をすることは可能であり,加害者が全く交渉しなかったことの理由にはならない
→ 権利の濫用の判断をする前提として症状固定時期の検討をする必要はない。
③ 加害者は積極的に交渉をしたが,被害者が治療中なのでこれを拒んだ
→ 裁判官は,加害者が交渉をしたという事実のみから,訴えの利益ありと認定してしまうおそれがある。
・ 考えられる反論
仮に加害者が交渉をしようとしていても,被害者が適切な治療中であれば(被害者の主張する症状固定日が妥当であれば)被害者としては交渉のしようがなく,訴えの利益は無いのではないか。
※ この点はあくまで弁護士篠木の考察であり,裁判例は無い。
ただ,裁判例に理屈の上では矛盾はしていない。
また,上述の東京高等裁判所(平成28年11月2日判決)も確認の利益の審理を尽くす中で症状固定に関する議論をすることを求めており,当該裁判例との矛盾もない。
この論理の欠点:本案の重要部分である症状固定日の審理をせざるを得ない。
裁判官としては訴えの利益なしとはしたくない方向にはバイアスがかかるだろう。
3 原告が主張する訴えの利益に関する事情に対する反論
すでに書いたが,訴えの利益は職権調査事項なので,当事者の主張に拘束されない。
そのため,基本的に原告が何を主張しても意味はない。
しかし,原告の提訴が不当な動機(威圧的効果)を狙ったものではないかとの主張には結びつけられる。
考えられる原告の主張
経験上,大別すると2つの理由が述べられることが多い(というかそれ以外の主張がされたことがない)。
① 被告が(不当に)治療を続けているため,解決が長期化することを防ぐため仕方なく訴訟をした系の主張
これに対する反論は,被害者の治療状況に応じて,以下のように大別できる。
・ 症状固定後の場合
治療は終了しており,そもそも原告の主張する訴えの利益は存在しない。
更に,訴訟を提起したほうが長期化することがほとんどであり,訴えの提起が,原告の主張する訴えの利益(原告の地位に対する不安や危険)を解決するという関係にもない。
特に過失や物損が無い場合,事前に訴訟上で整理するものがないことにも言及したい。
・ 被告が治療を終了していない場合
双方の主張が食い違う以上,症状固定日の適切性が問題になってしまうことは避けられないか。
ただし,上述のとおり交渉の経緯・提訴の動機を争う余地はある。
② 過大な賠償請求を受ける恐れがある系の主張
→ しばしば,このような(よくわからない)主張をよく見るので,なんでだろうと思ったら東京高判平成4・7・29に引きずられてのことだと思われる。
東京高判平成4・7・29には以下のような一文がある。
「症状が固定していないとの被害者の言い分が果してそのとおりであるか加害者の側で正確に把握することができないため、訴訟外での折衝の成り行きに任せたままでは、加害者の側として本来正当とされる解決の範囲を超えて不当に多額の損害の賠償を強いられるおそれがあるということもあり得ないではなく」
しかし,冷静に考えて,「過大な賠償請求」とは何か。
「請求」されたとしても,これを直ちに支払う義務はなく,具体的な危険とはなり得ない。
4 客観的にみて原告が訴えを提起するメリットが少ないこと
冒頭で述べたように,原告には客観的な一般的に原告には賠償額の多寡は関係が無く,訴えを提起するメリットが薄い。
権利の濫用の中で,客観的な要素と位置付けても良いし,提訴に不当な動機があったことの位置事情として位置付けても良い。
5 応訴の負担を負うのは被告だけであること
※ この点は不当な提訴の動機に結び付けられなくもないが,直接権利の濫用に結び付けなくて良い考える。
弁護士費用は加害者の保険会社が負担しているが,加害者の弁護士費用は保険会社負担。
裁判は手続き的にも複雑で知識も時間も要するが,裁判はそもそも格差是正を目的とはしていない
→ 当事者主義,弁論主義を採用していることからの当然の帰結。
よって,裁判になると,知識やリソースの差が拡大する。
働きながら裁判をしなければならないなど,現実的に被害者には不可能なのに,被害者だけが一方的に応訴の負担を負う。
しかし,本件のように保険会社が弁護士費用を負担して実質的に訴訟を提起できるとすれば,極めて不当。
なお,被害者は自己負担(近年は弁護士費用特約が普及しているとはいえ,被害者自身が支払った保険料との牽連性が認められる以上,自己負担であることに変わりがない)
6 被害者の具体的な不利益として紛争処理センターのようなADR機関を使えないという不利益があること
※ この点も不当な動機に結びつけるというよりは,直接権利の濫用に結び付けて良いだろう。
被害者と保険会社の間に知識・資金力・交渉力・人的資本力といったリソースの点で大きな格差がある
→ 格差は社会的問題とされ,数々のADR機関が設立されてきた
・ 交通時事故紛争処理センター
・ 平成21年保険業法改正により設立された「指定紛争解決機関」
(一般社団法人日本損害保険協会,一般社団法人保険オンブズマン,一般社団法人少額短期保険協会)
・ 公益財団法人日弁連交通事故相談センター
など。
しかし,ほとんどのADR機関は訴訟中や(被害者から見た)症状固定前は利用できない
つまり,保険会社の打ち切り後,被害者が治療中の場合,
被害者はADRを利用できないが(加害者からみたら症状固定後だが,被害者から見たら症状固定前だから),
保険会社が債務不存在訴訟を提起すれば,被害者のADR利用を事実上防ぐことができてしまう。
ADRを利用することが法的に保護された利益と直ちに評価できるかは別として,被害者のメリットとして権利濫用の中で考慮されても良いはず。
以上
おまけ考察:債務不存在訴訟を争ったときのゴールをどこにもっていくか
ベストは訴えの利益が無しとされる場合である。
ただし,これは反訴を提起しないということが前提となる。
事案によってはこの点がかなり難しいだろう。
・裁判所に対し,原告に対する本人尋問を認めさせる。
→これだけでもかなりの抑止力になるはずだが,採用される可能性は低いだろう。
おまけ考察:確認の利益についての主張は「弁論主義」が妥当するのか
先ほどから何度か引用している赤い本2020年下巻42頁には,「確認の利益(確認の対象が確定していること)の主張立証については弁論主義が妥当しますので,原告は,確認の利益があること,つまり被告の症状が固定したことを基礎づける事実を主張立証する必要があります。」との記載がある。
症状固定日を基礎づける事実と書いているため,通常は症状固定日を基礎づける事実は本案にかかるものであり,弁論主義が妥当するということが言いたいのかもしれないが…?
一般論でいうと,確認の利益には職権調査事項という理解であった。
誰かこの点に詳しい方がいたら教えてください。
